インタビュー

お客様目線を大切に、品質に誇りを持って本当に良い物を提供し、継承して行きたい。

本日は営業部長である井上様にお話しをお伺いいたします。まず会社の創業についてと南久宝寺町との関わりを聞かせてください。

明治34年に創業者である横田長左衛門が、糸の製造と行商を始めたのは京都からでした。
当時縫い糸は国民生活の必需品で、日に日に売れ行きが伸びていく商品で。
特に大阪の得意先さんからの受注増加が著しくて、それまでは京都からその都度出向いていたのですが、それではとても間に合わない、と。
当時の船場といえば大阪の中心に位置していて、商人にとって憧れの地。商いの量としても京都より大阪のほうが多く、特に繊維業は大阪が中心でした。
それで出張所を設けようということになり、大正3年に中央区粉河町に出張所を設立したところ、たちまち売上があがり人も増えまして。手狭になるたび大阪市内を転々とした後、昭和13年に南久宝寺に引っ越してきました。

その時はまだ本社は京都にありまして、しばらくは大阪出張営業所としていましたが、戦後昭和26年、大阪に本社を移しました。
南久宝寺はアクセスも良いし、大阪の中心で創業者が始めた地でもあるので、つい先日の平成29年2月に建物を新しく建て直して今もここ南久宝寺に本社を置いています。

古くからある商品のお写真

創業者様は何故卸糸の製造と行商に目をつけられたのでしょうか?

創業者は岐阜県の農家の出でして、「商売がしたい!」と実家を飛び出し、糸関係ではなく京都の“絞り鹿の子商”で丁稚奉公をしていたんです。
当時の絞り鹿の子商は代表的なファッション産業で、花形だったと聞いています。
ですが浮き沈みのある産業でもあったので、明治30年頃の日清戦争の反動不況で会社が倒産してしまいました。
結果、創業者は職を転々とすることとなり、様々な仕事をしてはみたのですが、「流行りや景気に左右されないものをこれからやっていかなければ」と考え、「それは何か」と思い至ったのが「縫い糸」糸商だ、と。
当時の縫い糸は用途が広く、消耗品であり、季節性・シーズン性もなく安定商品だったことに目をつけ、商売を立ち上げたということです。

田舎から出てきて「自分で切り開きたい」という気持ちがあったのではないでしょうか。
実家を飛び出していますので、「安々とは帰れまい!」という思いもあったのだろうと想像できます。

最近の商品のお写真

現在は縫い糸でだけでなく様々な糸を取り扱われていますが、こういった商品はどのようにして生まれてくるのでしょうか?

近頃は特に色々な商品が生まれていますが、弊社の社風として企画の感性に任せています。
まず、好きなように企画を考えられる雰囲気が社内にあるんですね。

以前は新商品ができたら、まず小売屋さんや問屋さんに紹介して、お店に並べてもらってからじゃないと消費者の方の目につきませんでした。ところが今はinstagramなどに載せるとお客様の反応がものすごく速い。
あまりに速すぎて、私のような営業の人間より先に知っている場合もあったくらいで……なぁんで知ってるの!?と(笑
そういったSNS等を活用しながら情報収集をする一方で、やはり営業先さんの中には年配の方も多いので、直接足を運んでお伺いすることも大事にしています。

弊社は「相手の立場に立って物事を考える」「主体的に創意工夫をする」「あと一歩の努力を怠らない」という行動指針を掲げていますので、それを軸にそれぞれがお客様に寄り添った商品作りを心がけています。
ラベルひとつとっても感性の違いはでるもので、若いお客様には「なんか……かわいい!」と受け入れられても、営業先さんでは「わかりにくい」とご不満をいただくこともあります……。
やっぱり出してみないとわからないです。試行錯誤ですね。

私も最近SNSを触りはじめてまして……、ちょっと頑張ろうと思っています(笑

笑顔の絶えない井上様

明治34年から数えると一世紀以上の歴史になりますが、危機的状況や印象的だったことはありましたか?

私自身は経験していませんが、朝鮮戦争後の不況の煽りをうけて、その時は流石に……という話を聞いたことがあります。
縫い糸はあまり景気に左右されないので、私もバブル崩壊は経験しましたが、良くはないけれどそれほどまでは……といった感じでした。

あとは……私が入社するその前に手芸ブームがあり、先輩から「すごかった」という話を聞いたことはあります。
昭和30年代後半ぐらいでしょうか、レース編みのブームが来て、手編みブームと続き、サマーセーターが流行りました。
私も学生の頃、サマーセーターを着ていた記憶がありますね。

現代では趣味そのものの種類が増えたので、家にこもって手芸だったり裁縫だったりをする人が減っているのは間違いないのですが、ここ2〜3年でまた流行りだしているようです。
これまでは安いものを求められる事もありましたが……。たとえば手編みのセーター作ろうと思うとやっぱり1万円くらいの材料費が必要になるのに比べ、今の時代2〜3千円くらいで同じようなセーターが買えるんですよね。
ところが、そういった時代になると作る方はかえって(材料の)値段に拘らなくなっていたりして、見た目や品質が気に入れば少々高くても買ってもらえます。
逆に安くても見た目が悪いものは買われません。
触った時に非常に柔らかい、気持ちいい!そしてラベルもかわいい!というものを若い方は特に選ばれますね。

そう、そのラベルにある「ダルマ印」も今は「かわいい!おしゃれ!」と言っていただけるんですよ。
新商品の中には「これは昔、似たようなものがあったけれどあんまり売れなかったな」というものが、色味やラベルが変わると売れたりして……。
「これが“かわいい”、ということか……」と私も対応していかなければというのが、個人的には印象的な出来事かもしれません。

ちなみに「ダルマ印」は、はじめから「ダルマ」ではなかったんですよ。
ある動物だったんですが、なんだと思います……?
いっちばん最初は「ゾウ」だったんです、「ゾウ印」。
ゾウは強くて大きいというイメージから、商売を大きく広げて強くなるという意味でつけたようなんですが、当時イギリスで商標をとっていた会社があって変えざるを得なかったとか。
「じゃあ何にしようか……」と考えて、七転び八起きで縁起が良いイメージの「ダルマ印」にしたとのことです。

他はそうですね……糸以外の事業としては、これも聞いた話ですが水産業、養殖をやったことがあるらしいのです。
失敗する前に、すぐに辞めたらしいですが(笑
基本的にはずっと糸一筋です。

ダルマ印

今後の会社の目標とするところと、井上様の想いを聞かせてください。

横田株式会社の信念は、「価格は一時、品質は永遠」です。
116年続けてきているので、「我々は時代が変わっても品質に誇りを持って仕事をし続けなければならない」と後輩たちに伝えていきたいと考えています。
同時に、新しい企画開発や商品で、業界自体を盛り上げていける会社になりたいですね。

先ほど「縁起の良いダルマ印」とお話しましたが、ダルマのマーク=手も足も出ないと揶揄されたこともあったりしました。
家庭糸は変わらない商品だからこそ、古い会社だねと言われたことも。
その当時の風潮として「新しいことをするのが良い」という時流でもあったので、古いものの良さがわからなかった時代だったのかもしれません。
ダルマ印が古さを象徴しているのでは……?と感じた時もありましたが、私自身は「先輩たちが売ってきた本当に良い商品」という誇りを持ってずっと携わってきました。

営業はまだまだ男性がメインなので、女性が増えてくれると嬉しいな、女性の感性を営業にも取り入れていきたいな、と私は考えています。
逆に、手芸や雑貨作りが好きな男性もいるでしょうから、男性目線という考え方で私も商品企画に参加してみたいなぁ、と思ったり。
手芸が好きで糸が好き、好きだからこそわかっている、そういう人が増えてくれたら嬉しいですし、増やしたいです。
興味のある人が会社に入ってきてくれて、一緒に働けるのを楽しみにしています。

横田㈱
中央区南久宝寺町2-5-14
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電話番号
06-6251-2183
FAX番号
06-6251-2145
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