連盟ニュース

秋のクルーズを満喫しました

卸連盟主催の「船場クルーズ」に参加しました。

地元の観光資源を活用し、地域の活性化を目指そうと企画された取り組みです。

時節柄、乗船人数は通常の半数以下に抑えられていたため、のんびり、ゆっくりと楽しむことができました。

  
湊町の船着き場から乗船   感染症予防  検温の後に手指を消毒

それではいよいよ、堀に架かる橋を中心に、『船場』の今を楽しむことにいたします。

道頓堀を東へ向かいます。 まずは『道頓堀橋』
この辺り、インバウンドに代わり国内の観光客が増えつつあるようですが、まだまだ人通りは少ないですね。グリコの看板で有名な『戎橋』はもう少し先ですが、残念ながら上手く写せませんでした。

 

道頓堀川の東端『下大和橋』をくぐって堀は90度北に折れ、東横堀川に名前を変えます。ここからは高速道路の下を流れる堀を北へ北へと進みます。


『上大和橋』欄干がおしゃれです。

『瓦屋橋』このあたりでは瓦の材料となる土がよく採れたようで、瓦屋さんが並んでいたそう。
調べたところ、天保年間に作成された「浪華名所獨(ひとり)案内」*注1 にはすでに橋が描かれています。
欄干も瓦のモチーフです。

*注1 天保年間に作成された手書き地図は >>こちら


『東堀橋』


『九之助橋』人名が由来らしいのですが判明していないとのこと。付近は金属工業の町だったようで一部は後の鍛冶屋町となっています。


『末吉橋』コンクリート製のアーチ橋 、なかなかの趣です。
平野の豪商 末吉孫左衛門が架けたのが元になったと伝えられています。

上を走る高速道路が工事のため、足場が組まれている状態です。


『安堂寺橋』古くから奈良街道へと続く重要な道筋に架かる橋。
東へ向かうと、玉造から生駒の暗峠へ抜けて奈良へ至ります。
そんな情報を、ガイドさんがお話しされています。


さて、いよいよ我らが『久宝寺橋』
豊臣時代から架けられていたと言われています。
『久宝寺』の由来には諸説あって、道頓堀川を開削する労働力として河内の久宝寺(現八尾市)から多くの人が来て集落ができた とか 、付近に久宝寺というお寺があった とか。確かなことはわからない・・らしく、それもまたロマンなのかもしれませんね。どちらにせよ、当時の久宝寺橋は「町橋」として近隣の町々の人たちで維持管理されていたようです。
久宝寺町界隈は特に小間物商(髪飾りや化粧に関する細々としたもの)の集積地として知られており、江戸時代には精巧な装飾品を扱う町として、たいそう賑わったそうです。明治の後半には、べっ甲細工や象牙細工の装飾品から、化粧品、歯ブラシ、煙草や煙管、硯、筆、墨の文具、糸、袋物、眼鏡、洋傘など、身に着けるものなら何でも揃う町として、急激に西洋化する時代の需要にも対応し、さらに発展を続けました。

現在、南久宝寺町にある、私たち協同組合大阪久宝寺町卸連盟はその先人達の流れを汲んだ組織であると言えます。


中央大通りの『農人橋』(のうにんばし)と読みます。
江戸時代には幕府が管理する「公儀橋」だったようですが、これも維持管理は町々に課せられていたとか。


『本町橋』 大阪市内では現役最古の橋。始まりは、豊臣秀吉が大阪城築城に合わせて東横堀川開削の際に架橋。

現在の橋は、本町通の大正2年の市電敷設の際にかけ替えられたもの。
今はもう、市電がこの橋を通っていたことを知る人も少ないです。

船はさらに北へ

『大手橋』


続いて『平野橋』
逆ランガー桁と呼ばれる珍しい形式で、令和元年度に土木学会の推奨土木遺産に認定されています。

 

さて、私たちが船を進めている道頓堀川から東横堀川にかけては、大阪湾の潮の干満や雨水の多少により 大きく水位が変化するため、様々な治水対策が取られてきました。現在では安定した河川水位を保つために水門が設けられています。また、水門操作により河川浄化の効果もあるそうです。


『東横堀川水門』にやってきました。
この先合流する土佐堀川に合わせて水位を調整中。40~50㎝ほど上がりました。先に見えているのは『高麗橋』

『高麗橋』をくぐります。
江戸幕府の管理する公儀橋の中でも特に重要だったらしく、様々な業種が建ち並び人の往来が絶えなかった橋。明治時代には、里程元標が置かれ、西日本の主要道路の距離計算はここを起点とされていました。


『今橋』大阪の陣を描いた当時の絵図にはすでにこの名があるほどで、西側の北浜には大きな両替商が軒を連ね、後の金融街の元になりました。

船は『船場』の北側、土佐堀川を目指します。

『天神橋』をくぐり


右手に『八軒屋浜』、正面に『天満橋』を見ながら・・

舳先をくるりと回転させて、左手の土佐堀川に入ります。

中之島の東の端からちょうど噴水が上がりました。


中之島公園 芝生広場。皆さん気持ちよさそうです。


バラ園でデート中 のお二人も手を振ってくださいます。
ありがとうございます!

『難波橋』をくぐったところ。
橋の欄干の四隅に大きなライオン像があることから『ライオン橋』と呼ばれていますが、こちらからだと ライオンの後ろ姿(しかも下半身)しか見えません。
『船場』側のCAFEはオープンテラスのお客様でにぎわっています。

ここで船は東へ折り返し『船場』を離れ、大川へ向かいます。

先ほど、遠目に見た『天満橋』にやってきました。
橋桁のライトアップが始まっています。


『天満橋』をくぐり大川に入りました。京阪電車の高架ごしに『大阪城』が見えます。

天神祭りの折には、この辺りは船がひしめき合っているところですが、今日は屋形船が2艘だけ。少人数で、ゆっくりと楽しんでいらっしゃいます。


『桜宮橋』と『新桜宮橋』にも明かりがつきました。
ここで、もと来た方向に船は戻ります。


大川沿いもライトアップ
左手に見えるのは 『川崎橋』 桁を吊ったタイプで、技術的に優れていることからこちらも土木学会の賞を受けています。


『天満橋』に戻ってきました。
日が沈み、水面に明かりが映えてきました。


流れも静かで・・キラキラとロマンチックです~


「中之島」の東端で、またまた噴水のお出迎え。
ここからは中之島の北側、堂島川と名前が変わります。


今年7月開館した「こども本の森 中之島」が見えます。右端に大きな青いリンゴのオブジェが目印。
安藤忠雄さんが設計し寄付、名誉館長は山中伸弥さん。たくさんの子供たちが、ここで自由に未来を夢見ることができれば素敵ですね。


大阪市役所です。
大阪市では、「大阪光の饗宴」と題して、中之島一帯を光で包む「光のルネサンス」が12月25日まで、御堂筋を梅田から難波にかけて光で彩る「御堂筋イルミネーション」が12月31日まで開催されています。

私たちの『船場クルーズ』もそろそろ下船の時間が近づきました。
道頓堀川から東横堀川、土佐堀川に囲まれた『船場』地区を橋の豆知識と共にめぐり、足を延ばして堂島川と大川にも船を進め、変わりゆく夜景も堪能することができました。

いつもは、車の波に圧倒されてしまう私たちの街ですが、水路を行くと渋滞もなく快適なせいか 空がとても広く感じられました。
いつの日か「水上交通の街大阪」になればいいのになぁなどと思いつつ、船を降りました。

ご協力いただいた 一本松海運株式会社様、ガイドの大阪観光局 松崎様 、本当にありがとうございました。

 

2020.11.20

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